森岡督行 メイン

「WALL DECOR journal」Vol.11は、本にまつわる様々なお話を起承転結をもって心地よく聞かせてくださる森岡さんのもとを訪ねました。

 

2018年12月 取材・文:BAGN Inc 撮影:藤堂正寛 

ー早速ですが 「WALL DECOR」 を開封してみてください。

すごい!いい感じじゃないですか!嬉しい!これは飾っておきます。自分の写真を額装して、壁に飾るということは生まれて初めてです。自分の写真展みたいで、これは面白いです。家の壁にはこの書店で展示してくださった方々のものが多いですが、作家の気持ちがわかった気がしました。二次元から三次元になった時の驚きっていうのは代え難いものがあるなと思います。私は新しいものを買ったらいつもお手洗いに飾るんですよ。まずはそこに置きたいと思います。

 

森岡督行

ー先ほどふと入ってこられ方は、森岡さん作品展の一番目のお客様でしたね。「WALL DECOR」を利用されての、森岡さんの企画展も今後楽しみにしています。いくつか種類があるなかで「カジュアル」タイプを選択されたのはなぜですか?

何か物質感があっていいかなぁと思いました。部屋に飾るなら、オブジェ感が強くなるんじゃないかなとも。本というテーマで好きな写真を選んでいたんですけど、本にまつわる旅の写真もいいなぁと思って、そのような写真を選び「WALL DECOR」 にしてみました。今回の写真は連続性はないのですが、横に並べて飾ってみますね!どう飾ろうかなぁ? 3枚くらいにまとめてみて、等間隔で並べるのよさそうですね。

KIKILarge

ー早速ですが本にまつわる旅の写真のおはなしを聞かせてください。

建築家の中村好文さんが大好きで、文章がとても素晴らしく、かっこいい。特にこの本は装丁も素晴らしいなと思います。染色家の望月通陽さんがデザインしていて、その方の作品もものすごく好きで、両方の世界観が合わさっているのがいいと思います。中には中村さんの写真も入っていて、それが文章に奥行きを与えているんですよね。「暮らしを旅する」というタイトルで、実際旅していたものだったり、旅の準備とかそういうことが記されています。

ー中村さんの建築物も実際に観に出かけられたりされますか?

愛松山にある伊丹十三記念館には行きました。松本にある三谷龍二さんの新しい工房には、来月出かける予定です。中村さんの創り出す小屋の佇まいが好きです。千葉にある坂田和實さんの私設美術館「as it is」も中村さんの設計として知られています。能登にある赤木明登さんのゲストハウスも中村さんの建築で、一度泊まったこともあるのですが、書庫にずっといたくなりました。

ー中村さんを知ったのは、本から?建築物から?

最初は本を通してですね。坂田和實さんの『ひとりよがりのものさし』という本のなかで、最後に対談していてそこで知りました。この前は、台北の生活工芸の展覧会の会場でご一緒させてもらうこともありました。

KIKILarge

真ん中の写真はソウルに行った時のものなんですけど、自分の本のハングル版が出版になって、その記念イベントでソウルに向かうという場面だったんです。ハングル版は僕の本を読んでくださった方が、気に入ってくださって韓国でも出版したいということで一昨年実現したものでした。ソウルの弘大(ホンデ)という地区にあるサンクスブックスという書店です。

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飛行機に乗り遅れたんですよ。夜7時にイベント開始で、自分はお昼の2時に乗る予定だったんです。十分余裕をもって羽田空港に向かってチェックインしようと思ったら、乗る飛行機がないんですよ。おかしいなぁと思って、よくチケットを確認してみたら、2時出発って書いてあるんですよ。14時ではなかったという…。早朝に出てたといことが判明したけれど、満員のトークイベントでしたし、どうしてもソウルに行かないとまずいと思って、航空会社のカウンターに問い合わせたら1席だけ空きがあって、午後3時くらいに向かうことができました。それでこの写真はソウルに向かっているという安堵の風景。心に生まれた余裕からみえた景色で綺麗だなぁと感じました。ただ乗ったはいいものの、今度はトークイベントが夜7時から始まるから、ギリギリ間に合うかどうかという焦る気持ちでした。結果は、7時丁度に着いたんです。6時59分でもなく、7時1分でもなく、7時ジャスト!

KIKILarge

ーなんともドラマチックな本と旅の話ですね! 森岡さんが本に携わる、本に関わる仕事をするという人生はどこが起点になっていますか?

スタートはもう随分と昔の話ですよね。1998年に入って、この道も20年ですけども。本はもともと好きだったんですが、より神保町が好きで足繁く通っていたということがあります。山形から東京に上京してからなんですけども。当時昭和生まれって、渋カジというのがはやっていたんです。渋カジは古着とかを採用していたので、最初古着が好きで、東京に来たころには高円寺とか代官山とかで古着をみてたりしたんですけど、ある時神保町に行ったらこっちの方がいいなぁと思って。評論家森本哲郎が、新宿のような街は世界中にあるし、でも神保町のように書店が200くらい集まっている街は他にないから、それだけでも誇らしいし、文化国家といってよいだろということで、それでより密になっていった。将来どうしようかなって思っていた時は、昭和初期の中野ハウスという古いアパートに住んでいたんです。中野ハウスは電気のプラグが壊れていて裸電球1個という状況の生活をしていたんです。でもある時、現代の情報を遮断して昭和初期の情報に切り替えたら、昭和初期の空間ができるなと思って、それをやってみたんですよ。昭和16年の12月から半月くらい新聞を読んで、その当時の現代の情報を読んで。そしたら本当に昭和16年にいったような気分になりました。なぜ昭和16年かというと、真珠湾攻撃があった時で、なんでまた戦争をしなければいけなかったんだろうと感じて、それを追体験しようとやっていたんです。それなりに自分のわかることもあったんですけど、12月8日が真珠湾攻撃だったんですよ。新聞には大々的にそのことが掲載してありましたが、その新聞の中の一角に一誠堂書店の広告がでてたんですよ。おっ、神田の本屋だなと思って、そこには「一誠堂書店古書買います」とか書いてありました。真珠湾攻撃の日に一誠堂書店は「古書買います」ってのを載せていたんだなと。そのような生活を2週間ぐらい続けたあとに、普通の生活に戻して、ある時に新聞をみたら朝日新聞に一誠堂書店求人募集っていうのがあったんですよ。これは何かの縁だなと思ったし、すごく好きな本屋だったから、それで応募したんです。無事、採用してもらって就職したという流れでしたね。


当時環境問題についても少し考えていて、古本はリサイクルでいいなと思っていました。それと、近代建築の昭和5年にたった素敵な社屋が好きでした。神保町も当然好きでしたしね。様々合わさって一誠堂書店が良かったですね。



一誠堂書店には8年勤務していて、自分にとってはすごく相性のいい場所だったから、定年までいようかなって考えていたんですけど、茅場町にすごくいい物件があって、すごく惹かれて独立しようって思いました。そこからは早かったですね。隣に運河が流れていて、餌を撒くとカモメがいっぱいきて、いいところでした。   2015年に銀座の鈴木ビルに移転しました。この森岡書店の在るビルは昭和14年から「日本工房」という編集プロダクションが入っていて、そこには当時第一線で活躍していたクリエイターたち、例えば土門拳とか亀倉雄策とかこのビルにいたんです。歴史の本を読むとこのビルが日本の出版の聖地というふうに書いてあって、ここで働いていた人が戦後日本の出版の礎を築いていたっていう。そのような歴史的背景は何物にも代え難くて、一冊の本を売るというコンセプトもどこかで実現したいなと思っていていたときに、この場所と出会いました。今、歴史的背景を共感してくれる人は多くて、ここで展示販売会をやることに意義を感じてもらっているなと思っています。1週間で1冊なのでこれまで約150冊くらいをここでご紹介していますかね。

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ー1冊でやる楽しさと、難しさって何ですか?

やっぱり難しいのは、何でもそうですけど売り上げをたてていかないといけない。そのためにはどうやって企画を組んでいくかとか、本以外のものをどのように展示するかとか、いつも課題かもしれないですね。でもそれよりも喜びの方が大きいと思います。

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ー森岡さんはトークショーの出演とか、お客様との交流がすごく盛んですよね。

ここ十数年、消費から体験へといったようなワードがあるかなと思うんです。そういうことを自分は重視していて、それで体験に夢とか希望が付随しているといいんだろうなと考えています。

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ー3枚目の写真はどのような物語がありますか?

これは昨年10月に行った台湾で、本屋さんで講演をする前に時間があったので、どこかいい場所はないかと聞くとこの場所をお勧めしてくれました。でかけると本当に素晴らしい空間でした。ここは伊東豊雄さんの建築で、台中国家歌劇院。この建築がただただ素晴らしくて力のある空間でした。1時間半から2時間くらいじっとここに座って眺めていたんですよ。時間をかけて造られたこの建築の外観は、写真でみたことありましたが中はイメージできず、入るとこのような空間があってすごく感激してしまいました。まるで洞窟にいるみたいな感じがありましたね。  人がいるものといないものを撮影していて、いた方が大きさがわかるなと思って、この一枚にしました。講演で何を話そうかなっていうことをこの場所で構想していましたね(笑)。

ー実際にトークショーではその時どのようなお話を?

街の本屋の考え方みたいなものを話したんですけど、話すと長くなりますよ(笑)。街の本屋が必要だということを言いたいんですけど、何でかっていうと、東京大自然説っていうのを捉えているんですよ。自分におごりがあって東京に自然がなくなったていう。  最近工芸作家の話をきくことが多いんですが、ガラスは珪石というものからできているということで、鉄は鉄鉱石、アスファルトは化石燃料、コンクリートは石灰石、2000年くらい前からある技術。そう考えるとどれも天然由来で有機素材になっているなと思ったんですね。首都高とか走っていてボコボコしているし、地下鉄とか湧き水とか出ているところもあって朽ちているなというふうに思います。わたしは阿佐ヶ谷なんですけども、虫とかたくさんいて、空き地になると草木がすぐに生えてくる。それを観ていて自然がなくなったっていうことじゃないなと感じていて。もちろん土はないからそれを加工した岩とかが広がっているイメージが東京に対してはある。世界のどの都市も言えるかなと思っています。  それと、人々の働き方が縄文期よりになっているなと思っています。芸術新潮で橋本治さんという小説家が、日本人をみていると弥生と縄文にカテゴライズすることができるということを言っています。弥生は農耕で組織立っていて、縄文の人は狩猟採集なんですが、最近フリーランスで仕事をされる人が多い世の中で、狩猟系の仕事をされる方が多いと感じています。フリーの編集者の方とか、企業の中でもフリー的な立場で仕事をされる人が多いなと。  それで縄文系の人が多いと感じている点と東京大自然説とあわせてみると、東京という有機的な井戸場でフリーランスという縄文系の人が狩をしているイメージがすごくあるんです。それは東京だけではなくて世界の都市に共通していると思っていて、そういう縄文的な狩をするような人々にとって、何か情報を得たり爪を研いだりする場所として、本屋があるんだろうなというふうな話をしましたね。それが、掻い摘むとひとつで、あとは世界の成熟した都市でニューヨークとかロンドンとかパリとか、必ずその土地のある人々の心の拠り所となるような書店があるなと思っています。サンフランシスコだったらシティライツとか、パリだったらシェイクスピア書店とか、そこには観光客とかいてトートバックとか買って、地元に帰ったらそれを使っている。東京の地下鉄にもストランドだったりシティライツのトートバックを持っている人が多いなと思うんですけど、その都市の宣伝にも自ずとなっているっていうような気がしていて、そういう観点から、例えばスポーツだったらヤンキースとか巨人とか、ドジャースとかいう位置付けとして書店もあっていいだろうというような話をしてきました。

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ーまさにここ森岡書店もそのような場所ですね。取材の途中でソウルからの問い合わせだったり、同じようなタイミングで海外の方がお店を覗かれたりしていますね。

日本はミニマリズムで、茶室とか精密機器とかあると思うんですけど、そういう文化のひとつの現れとして海外で紹介してくださっている方がいるみたいですね。本という括りでもそうですが、観光地としても観に来てくださっているんじゃないかなと思っています。

KIKILarge

ー最後に森岡さんからお知らせしたいことはありますか?

六本木に「文喫」というお店がオープンしました。入場料をいただいてコーヒーと煎茶飲み放題で何時間いてもよいというような空間。「文喫」という言葉が生まれる時の企画協力と、最後のエントランス部分のキュレーションという関わりをさせてもらいました。「文喫」って必要ですって、割りと言い続けたと思います。本屋を残すかたちとして入場料でまかなっていきましょうと。最初からすんなりとは通らなかったんじゃないかな。でも一年半でいったのでよかったのでしょう。ぜひ行かれてみてください。

Profile

Prof-kazumi-hirai

森岡 督行(yoshiyuki morioka)

1974年山形県生まれ。

森岡書店代表
著書に『荒野の古本屋』(晶文社)
『Books on Japan 1931-1972』(ビー・エヌ・エヌ新社)など。

出展、企画協力した展覧会に『雑貨展』(21-21design sight)、『そばにいる工芸』(資生堂ギャラリー)など。

本年は、第12回「shiseido art egg 」賞の審査員を担当。
森岡書店 総合研究所